2011年7月15日金曜日

核(ニュークリア)の記憶

『中途半端なオカルト生活』から一旦、原発核関連を分離します。私的反原発備忘録ということで自分と原発との関わりを整理しておこうと思います。
 俺が経験した記憶にある原発事故は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故である。それ以前のスリーマイル島原発事故のときは1979年だから小学生、記憶があっても良さそうだけど全然覚えていない^^;1986年は親元を離れ、予備校生だった頃、原子力工学科出身の講師が工具を原子炉に置き忘れたんじゃないかと自己見解を述べていた。(原子炉に忘れ物をする事例は多いらしいがチェルの原因ではない)新聞TVなどで世間は大騒ぎしていたのだろうが当時はTVを持っていなかったし、深く考えていなかったので事故の重大性について、リアルタイムの実感はほとんど無かった。この年、ボジョレーヌーボーがメディアで大々的に取り上げられ、それと同時にワインに合うフランス産のカマンベールチーズなども輸入され始めていた(今から思うと放射能で汚染された食品の売先など国際的な食品商社の思惑もありそうでちょっと怖い)。次の年、工学部(化学系)の大学生になったもののエネルギー問題の小論文提出などでも原子力の平和利用は必要だなどと書く何も知らない考えない学生だった。福島原発事故後でも当時の俺みたいな意識の人は多いのはではないかな~と思う。誰にも見えない、匂いもない



 4回生(1990年)のとき研究室の夏季合宿(8月)で福井県若狭湾の水晶浜に行った。
 青空の広がる夏の海の楽しい思い出だ。しかし俺は若狭湾に原発があることすら知らないし、目の前にあったはずなのに気付いていなかった。
 翌年、1991年は1月17日に湾岸戦争(パパブッシュのイラク戦争)が勃発した。
 いまどき石油をめぐる戦争かよといった気もしていたが、何か得体の知れない、いやな雰囲気が地球を覆い始めるのを感じていた。
 この戦争は実践ではじめて劣化ウラン弾が使われ、戦場となったイラクの人々や戦闘に参加した米兵も被曝し、その後も多くの人々が様々な病気を発症したり、その後遺症に苦しんだ。更には産まれてきた子ども達にも様々な異常が現れていた。いまだに米政府はその原因を劣化ウラン弾によるものとは認めていない。
 使い捨てにされ被曝させられた兵士達とイラクの人々と罪のないこども達、何が起こっていたのか?いるのか?真実はまだまだ伝わっていない。



 そして2月9日に美浜原発の事故が起きた。確か新聞にも放射能漏れ事故の記事は載っていた。しかし、今と同様に人体には影響ありませんと書かれていたので気にも留めていなかった。

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