その後、大学生協でぶらぶら本を探していたときイスラエル諜報機関モサドについて書かれた本とロスチャイルド金融財閥について書かれていた「赤い楯」という本が目にとまり、パラパラとめくり後者を購入した。
そこには、ヨーロッパの有名ブランドからハリウッド映画の話まで、アヘン戦争からセポイの乱まで受験で暗記した世界史とは異なる閨閥から世の中をみる近現代史が展開していた。無我夢中で友達と回し読みして、「億万長者はハリウッドを殺す」なんかも読んでロスチャイルドやロックフェラー金融財閥って何なのかそしてお金と核との関係って何なのかを考えた。
その延長で反原発本「眠れない話」「危険な話」「最後の話」を読んで原発が何なのかが分かりはじめてきた。
そしてようやく1991年の美浜原発2号機の一次冷却水漏れ事故の重大性を認識することになった。夏季合宿で行ったあの水晶浜から美浜原発は見えていた筈だ。だけれど自分には何も見えていなかった。
たとえ目の前に巨大な物体が存在していても人間は見る意志を持たなければ何も見えない。正直、青くなった。隣県の福井にある原発銀座、一歩間違えれば大変な事故ににつながりかねなかった美浜原発の事故。
それを自分も含めて殆んどの人が新聞TVなどメディアが牛耳られているために知らない現実、それからロベルト=ユンクの「原子力帝国」、堀江邦夫「原発ジプシー」、鎌田慧「日本の原発地帯」などを立て続けに読み、高木仁三郎さんの原子力資料情報室の通信も取るようになった、自分が何も知らなかったことを知り、若いもんだから、知った情報を周囲の人間にあたりかまわず吐き出した。突然の変容に周りもびっくり迷惑だったろうが、今になって思うに事態のあまりの恐ろしさや国際的な原発シンジケートの巨大さにおののき、一人で抱えきれない消化不良の負担を周りに吐き出すことで軽減したかったのだと思う。
2011年7月16日土曜日
2011年7月15日金曜日
核(ニュークリア)の記憶
『中途半端なオカルト生活』から一旦、原発核関連を分離します。私的反原発備忘録ということで自分と原発との関わりを整理しておこうと思います。
俺が経験した記憶にある原発事故は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故である。それ以前のスリーマイル島原発事故のときは1979年だから小学生、記憶があっても良さそうだけど全然覚えていない^^;1986年は親元を離れ、予備校生だった頃、原子力工学科出身の講師が工具を原子炉に置き忘れたんじゃないかと自己見解を述べていた。(原子炉に忘れ物をする事例は多いらしいがチェルの原因ではない)新聞TVなどで世間は大騒ぎしていたのだろうが当時はTVを持っていなかったし、深く考えていなかったので事故の重大性について、リアルタイムの実感はほとんど無かった。この年、ボジョレーヌーボーがメディアで大々的に取り上げられ、それと同時にワインに合うフランス産のカマンベールチーズなども輸入され始めていた(今から思うと放射能で汚染された食品の売先など国際的な食品商社の思惑もありそうでちょっと怖い)。次の年、工学部(化学系)の大学生になったもののエネルギー問題の小論文提出などでも原子力の平和利用は必要だなどと書く何も知らない考えない学生だった。福島原発事故後でも当時の俺みたいな意識の人は多いのはではないかな~と思う。誰にも見えない、匂いもない
4回生(1990年)のとき研究室の夏季合宿(8月)で福井県若狭湾の水晶浜に行った。
青空の広がる夏の海の楽しい思い出だ。しかし俺は若狭湾に原発があることすら知らないし、目の前にあったはずなのに気付いていなかった。
翌年、1991年は1月17日に湾岸戦争(パパブッシュのイラク戦争)が勃発した。
いまどき石油をめぐる戦争かよといった気もしていたが、何か得体の知れない、いやな雰囲気が地球を覆い始めるのを感じていた。
この戦争は実践ではじめて劣化ウラン弾が使われ、戦場となったイラクの人々や戦闘に参加した米兵も被曝し、その後も多くの人々が様々な病気を発症したり、その後遺症に苦しんだ。更には産まれてきた子ども達にも様々な異常が現れていた。いまだに米政府はその原因を劣化ウラン弾によるものとは認めていない。
使い捨てにされ被曝させられた兵士達とイラクの人々と罪のないこども達、何が起こっていたのか?いるのか?真実はまだまだ伝わっていない。
そして2月9日に美浜原発の事故が起きた。確か新聞にも放射能漏れ事故の記事は載っていた。しかし、今と同様に人体には影響ありませんと書かれていたので気にも留めていなかった。
俺が経験した記憶にある原発事故は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故である。それ以前のスリーマイル島原発事故のときは1979年だから小学生、記憶があっても良さそうだけど全然覚えていない^^;1986年は親元を離れ、予備校生だった頃、原子力工学科出身の講師が工具を原子炉に置き忘れたんじゃないかと自己見解を述べていた。(原子炉に忘れ物をする事例は多いらしいがチェルの原因ではない)新聞TVなどで世間は大騒ぎしていたのだろうが当時はTVを持っていなかったし、深く考えていなかったので事故の重大性について、リアルタイムの実感はほとんど無かった。この年、ボジョレーヌーボーがメディアで大々的に取り上げられ、それと同時にワインに合うフランス産のカマンベールチーズなども輸入され始めていた(今から思うと放射能で汚染された食品の売先など国際的な食品商社の思惑もありそうでちょっと怖い)。次の年、工学部(化学系)の大学生になったもののエネルギー問題の小論文提出などでも原子力の平和利用は必要だなどと書く何も知らない考えない学生だった。福島原発事故後でも当時の俺みたいな意識の人は多いのはではないかな~と思う。誰にも見えない、匂いもない
4回生(1990年)のとき研究室の夏季合宿(8月)で福井県若狭湾の水晶浜に行った。
青空の広がる夏の海の楽しい思い出だ。しかし俺は若狭湾に原発があることすら知らないし、目の前にあったはずなのに気付いていなかった。
翌年、1991年は1月17日に湾岸戦争(パパブッシュのイラク戦争)が勃発した。
いまどき石油をめぐる戦争かよといった気もしていたが、何か得体の知れない、いやな雰囲気が地球を覆い始めるのを感じていた。
この戦争は実践ではじめて劣化ウラン弾が使われ、戦場となったイラクの人々や戦闘に参加した米兵も被曝し、その後も多くの人々が様々な病気を発症したり、その後遺症に苦しんだ。更には産まれてきた子ども達にも様々な異常が現れていた。いまだに米政府はその原因を劣化ウラン弾によるものとは認めていない。
使い捨てにされ被曝させられた兵士達とイラクの人々と罪のないこども達、何が起こっていたのか?いるのか?真実はまだまだ伝わっていない。
そして2月9日に美浜原発の事故が起きた。確か新聞にも放射能漏れ事故の記事は載っていた。しかし、今と同様に人体には影響ありませんと書かれていたので気にも留めていなかった。
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